以前、自己紹介でも触れましたが、長年、相場をやってきまして、多くの投資に関する書籍を読んできました。
本を読みながら、「これは役立ちそう」と思う言葉を書き連ねてきました。
今ではその言葉は大学ノート3冊分になっています。
これらの言葉を少しずつ皆さんに紹介していこうと思います。
相場の名言「水晶玉に頼る者は粉々になったガラスを食べるはめになる」
大学ノートに書き連ねた言葉は、どの本の誰の言葉かは書いていない為すべては不明です。
ただこちらのサイトで紹介している本からの引用は、かなりあるかもしれません。
だからこそ全ては私の血となり骨となり、投資家として少しの値動きや損切では動じない強靭なメンタルを作り上げてくれました。
もう私自身の言葉と言っても過言ではありません。
皆さんにもそのように自分の言葉として終生大事に出来る言葉が、きっとこの中にあると思います。
その第一弾が、この「水晶玉に頼る者は粉々になったガラスを食べるはめになる」になります。
この意味について解説していきます。
誰かの予想を信じてエントリーしても苦湯を飲まされるだけ
相場をやりはじめた初期の頃は、色々な人の意見を鵜呑みにして、エントリーをしていました。
そして、そのたびに、苦湯を飲まされてきました。
あの有名な投資家がこう言っていたから、とか、あの有名な投資系YouTuberがああいっていたから、などという理由でエントリーしていたのです。
しかし、誰がどういおうと、相場には関係ありません。
それで負け続け、「あのやろー」とむかついていました。
そんな時に、何かの本でこの言葉を見つけて、「あーそういうことか」と気づいた次第です。
私は水晶玉に頼っていたのだと気づいたのです。
だから、予想がはずれ粉々になったガラスを食べるはめになったのです。
それから以降は、参考にはしますが、どんな有名な投資家であっても全く誰の言葉も鵜呑みにはしなくなりました。
誰かの予想は、全て水晶玉に過ぎません。
信じても救われません。
これが、相場をやりはじめた初期に気づいた相場の真実です。
相場においては全ては自己責任です。
次に、そのような言葉を紹介します。
トレーダーの精神的態度とは
水晶玉の言葉で、他人の意見を信じることのバカらしさを紹介しました。
では、トレーダーはどうあるべきなのでしょうか?
少々長くなりますが、私は、大学ノートにこのような言葉を書いています。
個人トレーダーは、進路に横たわる障害を、自分自身の希望、恐怖、臆病さ、頑固さで、どの程度、そしてどのように克服できることができるか。
どういった気持ちでこの言葉を書いたのかよく覚えていません。
ただ投資家として、どうにかやっていこうという気持ちが強かったことだけはわかります。
負け続けていたけど、何とかしたかったのでしょう。
そういう意味で、同じページに、このような言葉もあります。
負けていたことがよくわかりますよね…。
ただどうにかしたいという気持ちというか気迫もわかってもらえると思います。
相場は本当に考えることが9割です。
スキャルピングなどやっている人は違うでしょうが、私のようにスイングトレードがメインのトレーダーは、エントリーや決済などの行動はトレーダー生活のなかでは1割あるかないかです。
ほとんど考える時間です。
色々な要素を考え、繋げて、チャートの動きを見て、ようやくエントリーするのです。
分析に対する錯覚(幻想)
このように自分で考えることをトレードだと確信していきました。
ただし、それだけではなく、当時の私は、その次に分析や予想に対する戒めの言葉も書いています。
副題として「分析に対する錯覚」とも書いています。
分析に対する錯覚の章には、まだ違う言葉もあります。
続けて、初心者の頃に陥っていた不安感による決済についても書かれています。
よく意味もなく「上がった…」「下がった…」で無駄な損切や小さな利確をやっていた頃のものだと思います。
初心者あるあるですね…。
テクニカル分析だけで相場がわかればみんなある程度の経験をつめば、億万長者でしょう。
分析は一応しますが、一応です。
分析を過大評価したら、それもまた水晶玉です。
分析を信じすぎたら、最後はやはり、粉々になったガラスを食べるはめになります。
まとめ
今回は、相場に関する名言を紹介しました。
水晶玉というのは、誰かの予想であったり、自分自身のテクニカル分析であったり、そういう例えです。
最後にこの言葉で締めくくります。